20代OLの人生消耗ブログ

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沈黙-silence-

 

 

多分人から誘われなければみなかった作品。

キリシタン宣教師の受難と苦悩、神への愛の話。

 

考えることが多くて、難しかった。

ロドリゴは何を考えて晩年を過ごしたのだろうか。

原作読んでみたいな…相当エネルギーいるだろうけど。

 

個人的に、ガルペがアダムドライバーだったのよかった。カイロレン…似合ってるよ。

 

私はキリスト教徒じゃないし、何も知らないからなんとも分からないけど、解説読んだらスッキリした。

 

序盤、命のために棄教をすすめたり、キリストの教えに疑問を抱いて苦悩したりした宣教師たちより、自らの深い信仰心に従って死を選ぶ日本の信徒の方が神の愛を信じてるじゃん!と思った。

でも、彼らが信じているのは神ではない。

信じることで救われる、死後の幸せを約束されるという教義だった。

祈りや死後の世界に救いを求めるのは、仏教でも同じことだ。

しかし生まれてから死ぬまでずっと貧しくて、先祖代々そういう生活しかしてこなかった百姓たちは、仏教の教えは救いにはならない、極楽浄土などないという悟りに達していた。

そこで現れたのが異国の神。慈愛をもって人々を導き、受難を経てパライソへ連れて行ってくれる存在だ。

目の前の苦しく辛く、罪深い人生の中で、自分の存在を許してくれるキリストの存在。

 

彼らはその教義の中にある、敵を愛したり哀れみをもって他者に手を差し伸べようとはしない。

村人ではないキチジローを人質にしようとし、信仰の名の下に相手に死ねと言っているのに、それがどれほど罪深いことなのか理解さえしていない。

彼らはただ、自分を助けて欲しくて、差し伸べてくれる手を待っているだけなのだ。

 

 

そしてそのことを、フェレイラ神父は悟った。だから、今為すべきことを為したのだ。

 

浅野忠信の言う通り、ロドリゴはひたすら神に祈るだけで、何も自分の意思がない。

ただ嫌々と、駄々をこねているだけのように感じた。

キチジローのように、表面上信仰を捨て、心の中で神を崇めていれば良かったのに。

 

多分だけど、ロドリゴもガルペも、ポルトガル出身だし生まれた時からキリスト教徒で、きっと貧しい生活をしてこなかったんじゃないかな。

本や話の中で、キリストが受けた拷問や苦難を理解していても、自分のこととは遠いものだと思っていたんだろう。

 

日本で初めて、かつてキリストが経験したような飢えや寒さ、厳しい自然、そして偏見と迫害を身をもって知ったのでは。そしてそのような境遇の中でも救いを求める手を優しく包み込まなければならないと言う使命。

 

どうして沈黙をするのか、とロドリゴは何度も叫んだ。

神は、沈黙しているのではない、共に苦しんでいるのだ、と答えた。

 

神は、決して救ってはくれない。

ただ静かに、寄り添ってくれるだけだ。