「結婚=幸せ」という価値観が骨の髄まで染みている
私の子供の頃はちょうど、専業主婦の母親たちがちょっとずつ外へ仕事をしに行き始めた時代で、たぶん田舎だったことも影響してるけど、友達の家はいつもお母さんがいて出迎えてくれた記憶がある。
もしかしたら私たちが学校に行っている間に仕事に行ってて、子供が帰ってくる前に終わらせていたのかもしれないけど、幼稚園から帰るとおじいちゃんおばあちゃんしか居なくて、畑仕事があるからと遊んでもらえなかった私からすれば、お母さんがおやつに焼いてくれるというホットケーキがとても羨ましかった。
だから幼心に、大きくなったら子供に寂しい思いをさせないように家事をし育児をこなし、家族を支える妻になろうと考えていた。
男は外で仕事、女は中で家庭を守る。
今でこそこんな思想をもっていたら色んなひとからバッシングを浴びるだろうが、幼少期の私はこれがあたりまえの家族だと本気で思っていた。
結婚することは幸せなこと。
という認識は間違っていないと思う。
たぶんほとんどの人は「結婚する」と聞いたら「おめでとう」と言ってくれるのではないか。
輝くような笑顔で夫となる人を見つめる友達の姿は本当に喜びで溢れていて、ああ良かったねえ、幸せなんだねえと私だって心から思う。
わざわざ不幸になるために結婚する人はいないだろうし(事情によりあるかもしれないが)、仮に相手を愛してなくても、結婚によって何かを得ることができると感じているなら、その人にとってはベストな手段だったんだろう。
そんな「幸せのモデル」を見せつけられた私は、「結婚することで幸せになりたい」といい年になっても本気で思っている。
幸せになりたい。あんな風に愛されて、愛して、家族を持ちたい。
だから、結婚したい。
私はたぶん、ここで間違えている。と思う。
結婚することは確かに幸せなんだろうけど、幸せになるために結婚する、というのは同じ意味にはならない。
結婚の先にあるものがすっぽり抜け落ちている。
結婚はゴールじゃない、結婚してから相手と合わなくなったり、不倫や浮気、結局離婚することだってある。
結婚しなくても生きていけられる世の中になっているのなら、無理して我慢して結婚なんてしなくていいじゃない。今が幸せなんでしょう。
そういう沢山の意見を目にしてきたし、そうだよねえ、私今でも充分幸せだし、と同意もする。
実際一人暮らしは楽で、楽で、楽で。何でも自分でできるようになったし、少しのことじゃ怯まない図太さもでてきた。
何より独身生活が長すぎて、今更他人と知り合って好きになって付き合うという、そのプロセスが面倒臭い!相手が自分をどう思っているか不安になってドキドキして、相手の興味が冷めていくのを空気で感じていくのはしんどい。
でもでも、どうしても結婚してみたい。
そこに幸せがあると思っているから。
結婚のかたちが変わって女が家庭なんて前時代的な考えが通用する時代じゃないし、出来れば自分の食い扶持くらいは自分で稼ぎたいとは思っている。
結婚は人生の墓場なんて言われるように、お互いを縛り我慢を重ねなければ成り立たないものなのかもしれない。
それでも、だ。
どんなに正論であろうと経験からくるアドバイスであろうと、「でも、結婚したい。」これでひっくり返ってしまう。
結婚してなにかをしたいのではない、ただ、結婚というものをしてみたい、
これはもはや私の信仰だ。
見えない希望に縋りついて手を伸ばしている私は、祈るだけで何もしない。
いつか先の未来に、結婚する人もしない人も、それぞれが自由に生きたいように生きていける時代が来るのかもしれないけど、少なくとも私は手遅れだ。
私の信仰は、いつのまに落ちなくなった焦げ跡みたいに、ずっと私の真ん中にある。
否定しても、見ないふりをしても、たぶん結婚するまで私を支配するのだろう。
別にその考えが間違っている訳でもないだろうに、なんでこんなにしんどいんだろう。
もしかしてこれが試練なのだろうか?
きっと、私と同じ神を崇める人たちはたくさんいるだろうと思う。
ああ、早く神様のところへいきたい。
とりあえずたどり着けばあとはなんとかなるような気がしている。
最近ではもう、もがく気力もないので、流されるばかりだ。
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